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技術系サラリーマンの生活実験

【書評】サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠 著:ジリアン・テット

本書のこの紹介記事を読んだ時、私の注目を引いた一文を引用します。

 

「うちには35個のソニー製品があるが、充電器も35個ある。それがすべてを物語っている」と幹部が自嘲する状況に陥った。

 

 これを見て、読まずにはいられますまい。

 

Amazon.co.jp: サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠: ジリアン テット, Gillian Tett, 土方 奈美: 本

 

本書で称される「サイロ」とは酪農用語の「サイロ」を指しているのではなく、「他から隔絶されて活動するシステム、プロセス、部署」を意味する用語として使われているモノの事を指します。

 

世の中は複雑で、何かの物事に大して専門家が必要、というのは合意を得られる考え方だと思いますが(実際私もある筋では専門家のつもりです)、その専門家が揃いも揃って呆れた失敗や愚行から引き返せなくなる現象は世界中のあちこちで起きています。

これは一体何故か。本書では高度に専門化された組織状態「サイロ」が起こす弊害を実例に基づいて分析しています。

 

著者は「フィナンシャル・タイムズ紙」アメリカ版の編集長というのが現在の肩書ですが、氏の根本を示すものが「文化人類学者」としてのモノの見方です。

 

われ分類す、ゆえにわれ思い、社会的存在となりぬ 

 

複雑な物事に対処するにあたり、それを何かに「分類」して理解しようとするアプローチを取らなければ、正直何から手を付けてよいのかわからなくなります。ただ、その「分類」する、という行為は決して普遍的な行為ではなく、その文化圏(地域だけではなく小さな会社組織文化も)によって変わってきます。特定の文化圏の分類法が高度化し、そして「サイロ」が生まれます。

 

本エントリの冒頭に引用した一文は、ソニーが高度に「サイロ化」されたことにより、かつての栄光から凋落していく姿を取材した過程で出てきた一文です。

現在40代付近の方であれば、ソニーの「ウォークマン」の地位が「iPod」に切り替わっていく姿を「意識して」見ていたと思います。その時日本ではまとも報道されたなかったハワード・ストリンガーの戦いについては読んでいて震える内容でした。青春とともに「ウォークマン」が存在し、「プレイステーション」で遊び、「ソニーファン」を称していた自分としては。実際にソニーに所属していた方が本書を読むと、ストリンガーの戦いについて意義を挟みたくなることも十分考えられますが、それも本書で取り上げられる重要な視点です。

 

組織を内側から見ている場合と、外側から見ている場合では物事の解釈が違います。では、文化人類学者が取る研究手法「参与観察」であればどうか。実際に観察対象の文化圏に入り込み、その中から客観視する。「インサイダー兼アウトサイダー」の視点では更に解釈が変わってきます。ここが特に私にとって膝を打つ考え方でした。

 

自分の今の仕事について考えると、まさに高度にサイロ化されており、部族主義を生み、視野を狭めていると感じています。ただ、私は今の部署には異動して来た立場であり、そのカルチャーショックを味わいながら自分の仕事と部署の仕事をすり合わせている、「インサイダー兼アウトサイダー」なのだという事実を認めてもらった事に救われました。私が「インサイダー兼アウトサイダー」の広い視点を持っているとはとても言い切れませんが、ものの見方が変わってきているのは確かです。

 

本書は、「サイロ」を否定していません。まず「サイロ」の存在を認め、つづいてその影響についてしっかり考えること。「サイロ」をコントロールするのか、されるのか、どの視点を持つのかについて論じています。その分析や議論のフレームワークとして文化人類学が有効であるという主張です。

 

自分が所属する組織の問題に引っかかっている方には響く可能性が高い書籍だと感じました。オススメします。

 

最後に、本書の序文を引用します。

 

なぜ、私たちは自分たちが何も見えていないことに気がつかないのか?